今は修行…耐える時期なのだ

苦しい時期だから、こそ書いておこう。

社会人が始まって1年半、

楽しいと思えたことがない。

この仕事をしておいて何だけど、

成績が上がろうが下がろうが、

受かろうが落ちようが、

何とも思わない自分がいる。

他人に興味がないのかな。

成績とか受験とかのために、

子供達に頑張らせることに

あまり意味を感じていないのかもしれない。

上がろうが下がろうが、

受かろうが落ちようが、

君の人生変わらないよ、と思う。

うーん、それで変わると信じているなら

全力で頑張ってほしいし、応援したいけど、

別にこのままでいいかな、という子に

意味があるから頑張れ、

というのは本心じゃない。

そこで変われなかったことも

結果を出せなかったことも

本気で頑張れなかったことも、

君の人生だ、と思っている。

これまで生きてきて

そんなことが何回かあった。

頑張りたくても頑張れなかったことが。

どう考えてもその時期は辛かった。

小学5年生で半年学校に行けなかったときや、

高校3年生で受験勉強から逃げていたとき。

そんな頑張れなかった時期も、

それはそれで一つの意味を成し、

その後の生き方につながってきたし、

その後の人生を前に進める力になった。

だから、そこに無理に力を加えて、

微々たる変化を生み出そうとすることに、

あまり意味を感じないのかもしれない。

やる気がない相手の背中を押して、

あたかも意味があることをしている感じを出すことに

違和感しか感じないのかもしれない。

そんな中で、

この苦しい時期に大切にしていること

「淡々とやる」

このまま進むべきなのか分からないし、

道を変えるべきなのかも分からない。

たぶん今はまだ力が足りていないということだし、

いつか自分のやりたいこと、

できることが見えてくるようになるから、

今はただ「淡々とやる」

塩田さんが、人間決めるときは迷わない。

こっちの道だって力を入れずに選べるものだからって

迷うってことはそれは正解じゃないからって

言ってた。

大愚さんが、曖昧模糊のまま進んでいい。

わからないことがいっぱいあってもいい。

納得できないことがいっぱいあってもいい。

いつかわかるときも来るでしょうって

言ってた。

だから今は、苦しいけれど、

今は修行…耐える時期なのだ。